最近の悩み。

本来こんな時間なのだから、さっさと寝ろ、という感じだが、
もやもやして眠れないので、とりあえず書いてみることにした。

それにしても久しぶりの日記である。
こういうところに、自分の不精っぷりが現れる。


このブログは、どうもリニューアルしてから、どうも「結婚」が
一つのキーワードになっているようである。
今回も、話題的には似たような話である。

間違っても誤解されては困るのだが、自分には未だに彼女はいない。
なので、話題は「彼女」だとか「結婚」だとかになるのだろうが、
全く当てのない話なので、ご心配なく・・・(ん?)



やはり、30歳ともなれば、両親から「結婚しろ」圧力がすさまじい。
とはいえ、周りに自分と付き合ってくれそうな女性がいないのだから、
どうしようもないのである。


さかのぼれば、中学・高校時代は男子校、それも中学当時はレアなハンドボール部、
高校当時はもっとレアなパソコンおたく。
就職先は、いわゆるIT系の会社だが、バリバリのインフラ運用の部門なので、
男性だらけの職場環境で、女性は皆無。
(いらっしゃるといえばいらっしゃるのですが、皆さんすでに家庭を持っていらっしゃる・・・)

というわけで、どこで女性と知り合うんじゃい、というくらい、
隔離された社会で生きているのである。
なんて話をすると、決まって親からは「婚活。婚活。」とおまじないのように
ささやかれるのだ。困った話である。


さて、実は題目に書いた最近の悩みというのは、実は「親からせっつかれること」ではない。
イマイチ「自分が好きな女性」像がはっきりしないのである。


好きな女性はいる。ただ、総じて特徴がバラバラである。

とはいえ、たいてい自分が好きになる女性は、
音楽が好きになった女性アーティストのような感じがするので、
そもそも遠い世界の存在である。

そして、その好きになった女性アーティストの共通項的な言葉をあげると
「やさしい(やさしそうな)女性」であるが、
逆に「やさしくない女性」にあまり巡り合ったことは無いので、
じゃあ、どんな女性が好きなんだ?という話になる。


ちなみに、自分が身近な女性の中で、「つきあってみたい」と思うほど
好意を持った女性は2名しかいない。
どちらにも、別に告白したわけではないので、単なる片思いである。

だが、少なくともどちらの女性にも共通する何か似ている要素があるか、と言われると無い。
もっと致命的なのは、どちらの女性も「なぜ好きになったのか」、
何に魅かれたのか、自分でもイマイチつかめないのである。

どんな女性がタイプですか、と聞かれて明確な答えがない自分には、
女性とお付き合いする、というのはなかなか難しい気がするのである。


ちなみに、好意を持った2名の女性が今どうされているのか・・・。
まったく把握していない。

例え他の男性とお付き合いしていようとも、結婚されていようとも、
ただの片思いであれば、いつまでも続けることが出来る。
まあ、ある意味自分にとって都合のいい解釈をして生きているだけなのだが・・・。

たぶん、こういう中途半端な生き方をしている限り、当分結婚は無い。


こんな自分に、どなたか救いの手を・・・(^^;)


# ちなみに、ただバレンタインが近いから、というだけで書いたネタ的記事です。念のため。

結婚に関する持論

中学・高校時代からの親友の結婚式に出て3週間が経った。
幸せいっぱいな感じで良かったものである。

で、この3週間ずっと、結婚についていろいろと考えてきた。

ちなみに、自分には『彼女』という存在にあたる女性が、過去にも現在にもいない。
つまり、「女性と付き合う」という経験がない。
なので、かなり偏った考えであることに間違いはないが、まとめてみようと思う。

世の中に、『リア充』という言葉が生まれた。
インターネットの世界で、オンラインのコミュニティには入り浸っているが、現実生活が充実していない人間が、リアルの生活が充実している人物に対して、妬みの意味をこめて言い始めた言葉と言われる。
が、最近では「リア充=恋人持ち」という意味でも使われるようになり、妬みの意味だけでなく、どこか憧れの気持ちも含まれて使われるようにもなってきた。

つまり、世の中の大多数の人間は「リア充」であること、もっといえば「恋人持ち」であることは共通の希望であるようだ。

では、自分は実際どう思っているか、というと・・・。
正直、「今、結婚する気にはなれない」。
ネット社会では、「経済的に豊かであれば、もっと結婚するだろう」という考えがあるようだが、少なくともお金があれば結婚するかと言われると自分はそうではないと思うのである。

もっとも、結婚する上で経済力の有無は重要な考えであることに違いは無い。
自分の結婚に関する持論のひとつには、確かに「自分の収入だけで、家族が無理なく生活できるだけの経済力を持つこと」が条件としてある。
相手となる女性が仕事を継続したいかどうかは自由だと思うし、自分は少なくとも相手の女性に仕事を辞めることは強制しないつもりでいる。が、自分の収入だけで生計を成り立たせることは男の役目だと思うのである。(だからといって、家庭で主としての役割をおろそかにするつもりもない。)考え方としては、若干古いかもしれないが、男女が夫婦になり家庭を作る上で、「子ども」というのは外すことはできない。どう頑張っても、今の医療技術では男性が妊娠して出産することはできない。まだその役割は女性に頼らざるを得ない以上、女性が一時的に仕事が出来なくなるのは避けられないし、その間の生計は男性が支えざるを得ない。育児休業制度は男女ともに平等に利用できるよう設計されているが、休業中の収入は誰も保障してくれないからだ。

じゃあ、経済的に豊かでも結婚しないだろう、と思うのはなぜか。
それは、自分が経済的な豊かさを生活の質の向上に利用しようとしない性格があるだろう。

今、少なくとも月収で20数万もらい、預貯金もなんとか100万を超えるだけのものがある。
裕福ではないし、中流階級にも入っていない状態だと思うが、正社員で生活できる十分な給料をもらっているので不自由はしない。
問題は、「今以上の生活を特に望まない」という志向である。いい意味でも悪い意味でも、冒険をしないし無茶をしない。
好きな趣味に興じれている今の生活に満足していて、これ以上を必要と感じていないのである。



そして、この問題の根本は「生活の質の向上を望まない男性を好きになる女性はおそらくいないに違いない」ということだ。
独身であるか既婚者であるかで生活の質は大きく変わるはずである。そして「リア充=恋人持ち」というかたちで言葉が使われている通り、既婚者である方がより高い次元で人生を楽しめているはずである、というのがおそらく大多数の人間の認識であるに違いない。
経済的に裕福であるかどうかは別の話で、生活の質の向上を望む人間であれば、異性と交際をすることで人生を楽しむことを望むし、その上で結婚を望む。あくまで経済力の有無は、生活の質の向上を助ける手段の一つであって、手段は他にもあるはずなのである。
少なくとも女性から見て、「生活の質の向上を望まない」男性には何の魅力も感じないはずである。そこに経済力があるかどうかは関係ないはずだが、女性は最もわかりやすい指標として「経済力」を利用し、婚活パーティーとかで「年収いくら?」みたいな話になってしまうのであろうと思う。


ということで、「今以上の生活を特に望まない」自分は、「生活の質の向上を望む」女性の希望を満たすことはおそらくできません。

なので、当分自分は結婚しません。


と、書いてみたものの、「結婚したくない」わけではない。
人並み以下であることは間違いないが、少しは結婚願望がある。

では、どういう条件なら結婚しようと思うのだろう。
自分の結婚に関する持論の中に、「自分の趣味が不自由なく続けられること」というのが条件としてある。
もちろんお付き合いする女性が共通の趣味を持っていれば、おそらく不自由はしないだろうが、それは相当な高望である。

なにせ、CDを買い、ライブに行く「音楽好き人間」であり、
かつ、F1を見て、車のカタログを見て喜ぶ「車好き」である。
それより何より、「ネット好き」であり「ゲーム好き」である。

そして問題は、「今以上の生活を望まない」のは事実だが、今の収入ではとても全部の趣味を満足できていないのである。別に多趣味であるわけではないし、上に「好きな趣味に興じれている今の生活に満足していて」と書いたとおり、趣味に興じられている生活には満足している。ただ、「車好き」である自分はカタログを見るだけではなく、やっぱり自分の車が欲しいと思うものである。「音楽好き人間」な自分は、今は2カ月に1回ぐらいのペースだが、毎週でもライブに行きたいと思うものである。自分が満足してないのに、他人を満足させる余裕なんかないのである。
そして決定的に問題なのは、趣味に満足すること自体は、女性の望む「生活の質の向上」にはあまり繋がらないだろう。

これではどうしようもないのである。

およばれした結婚式

日も変わりまして、本日。高校の同級生の結婚式である。

実を言うと、親戚以外の結婚式におよばれするのは初めての経験である。
というわけで、素人も素人。どう振舞ったら良いかわからず、かなり困っている。

礼を失するような行動は慎むよう注意しながら、
精一杯華やかな場所を楽しみたいと思います。


あ〜、なんで俺が緊張しているんだろう。