個人的にサブスクリプション型配信サービスを契約しない理由

 

個人的にサブスクリプション型配信サービスを契約しない理由を書いておこうと思う。

契約したい人は、下記の記事を参考に契約されればいいと思う。

定額制の6つの音楽ストリーミング配信サービスを比較(曲数から料金、音質、特徴まで)http://creive.me/archives/6042/

 

契約しない理由は、結局のところ「契約しても聞きたい曲が聴けないことがあるから」だ。

サブスクリプション型配信サービスは、どうしても差別化の中でサービスによって聴ける曲・聴けない曲が出てくる。それがどうにも我慢ならない。

 

根本的な話をすると、いわゆるCDショップで音楽を買うこととサブスクリプション型配信サービスを契約して音楽を聴くことは、似て非なるものだ。

 

当然、CDショップでCDを買うとき、確かに品ぞろえは競争材料の一つになる。「○○」というショップはアイドル強い、「××」というショップは洋楽が強い、なんてのは昔からよくある。ただ、それは品ぞろえ(店頭在庫)だけの話であるので、CDの実態さえ手に入ればいい人からすると、どちらかのショップに行けば手に入る話ではあるし、注文すれば 「○○」というショップで洋楽を買うこともできる。

 

しかし、サブスクリプション型配信サービスは「音楽を聴く」という実態を得られる前にお金を払うことになる。だから、「お金を払っている以上は聴きたい音楽を聴きたい」のだ。そこで、「△△というサービスはソニー系だからavexのアーティストは聴けない」とか「□□というサービスはそもそも外資だからJ-POPは弱い」とか言われた段階で萎える。まだ、CDショップの場合実態がなくても「注文」すれば取り寄せできたが、サブスクリプション型配信サービスはそんなユーザーの希望なんて聞く気がない。

 

そもそもサブスクリプション型配信サービスの事業者は競争する場所を間違えている。なにせ音楽を聴く人は「レーベル」とか「国・地域」とかで境目をつくることはない。ただ、好きなアーティストの音楽を聴きたいだけだ。そのために「月額でお金を払う」決断をする。でも、「好きなアーティストの音楽」がそもそも聴けないわけだから、そんなサービスを契約したいわけがない。つまり「配信楽曲数」で競争している時点で、そんな競争は不毛だ。

 

実は、この指摘は過去にもしている。

それに対して、「山口哲一」という人は

 

と返してきました。

音楽関係で仕事しているひとが「まもなく」と言っていながら、それから2年以上たっても根本がわかっていないのが日本の配信サービスの現状だ。

 

ちなみに・・・

個人的にはですね、廃盤音源が聴けない時点で、CDというメディアから離脱できないんですよ・・。 現行のアーティストですら聴けないライブラリーしか提供できないサービスは糞です。

 

 

ストリーミングサービスの現実

 

個人的に好き・嫌いとは別で、「山口哲一」という人の情報は参考になるので、
たまに情報を参照する。

 

いまだタイトル決めれず: もう一度だけ、ストリーミングサービスとお金の話。〜クローズアップ現代「あなたは音楽をどう愛す?」を観て

 

もう少し簡単に書けばいいのに・・・

CD・ダウンロード販売は、「1販売単位で印税が決まる」

ストリーミングサービスは、「(ある一定期間における)1再生単位で印税が決まる」

 

CD・ダウンロード販売の場合、どんなに悪い音楽を作っても1枚シングルCDを売れば、1,000円の売り上げが立つ。買って1回聞いてみてはじめて購入した消費者が「得した」「損した」を感じることできる。要は、「こんなCD買わなくても良かった」と思うような消費者をより多く囲い込んで衝動買いさせたら、ある意味業界の人にとって勝ちだ。(物事の本質が変わってるが・・・)

 

ストリーミングサービスの場合、いかに良い音楽を作って繰り返し再生させるかにかかってくる。消費者は再生することで、音楽の「好き」「嫌い」を感じて繰り返し再生するかどうか判断できる。販売の場合1枚シングルCDを売っても1,000円だが、もしある消費者がその音楽を10,000回リピート再生させたら、1枚シングルCD売るより印税は入るかもしれない。要は、アーティストの力量が問われる。ただ、ややこしいのは総収入は変わらない(=契約者数 x 月額課金)から、総再生回数が増えれば増えるほど、1再生単位の単価が下がる。

 

アーティストの力量が足らないのであれば、全ユーザーの総再生回数を減らして、1再生単位の単価をあげるしかない(アクティブ率の低いユーザーの加入数を増やせばいい)。つまり、「携帯電話の有料オプション・有料コンテンツ」に祭り上げればいい。

 

まあ、どちらにしてもネガティブなことしか思いつかない俺ダメぽ・・・。

 

過剰な期待

昨今の通信規制問題や通信の最適化問題に共通するところの根本

 

通信キャリア・・・客にサービスを過剰によく見せようとしすぎ

客・・・自分に都合よく解釈しすぎ

なのかな、と思う。

 

たぶん無線通信の技術に詳しい人であれば、利用者全員が150Mbpsや300Mbpsやらで
使い放題することなんて、周波数帯域的にできないことなんて自明の理のはず。あくまで最大通信速度は通信規格上の理論値であって、それがバンバン出ることのほうが稀であることをもう少し周知できないもんかね。

使いすぎるユーザーに対して何らかの制裁処置がなければ、無線ネットワークが正常に機能しない。当然、どのように制裁をするかはキャリアの自由だが、自由にしすぎな感じは否めない。

一方、客も、無線ネットワークを過信しすぎ。そして資源は無限のものでお金を払えば自由に使えるんだ、的な妄想を抱きすぎ。そんなに高画質の動画を見たければ、相応の金額を払って無線周波数を食いつぶさない有線回線で通信すればいい。

 

たぶん最終結論は、

通信キャリア・・・規制をかけないサービスはできません、というギブアップ宣言をする。もしくは、無制限プラン月額5万円とかをつくる

客・・・無制限のサービスを使いたかったら、相応の金銭を支払う

でしか解決しないと思う。

 

携帯電話網は、今や固定電話網より、よりパーソナルに近い通信インフラになったわけだから、「YouTube」とか「ニコ動」とかで通信がパンクするような状況を生み出さないバランス感覚は持てないものかなぁ・・・。

 

 

そもそも論


規制緩和のせいなのか原因は知らないが、私立大学が多すぎ。少子化が進むんだったら、私立大学を合併統合して効率化・学費低減させろ。


・学費が高くて当然の議論をするのがおかしい。やるなら、国立大の存在意義を変えた方がいい。研究予算より就学支援を充実させるとか。(逆に、私立の研究を高度化させて、金持ちには私立に行ってもらうとか)


っていう、戯言。


周りに流されているのか、自分で流れを作っているのか

体が大きいと「何かスポーツでもされているんですか?」とよく言われる。
「中学では少しやってましたが、今は全然」が口癖。
そんな日常会話から、ふと考え始めたら止まらなくなったので、書き留めておこう。

よく考えたら、小さい頃は運動が大の苦手だった。
ラケットやバットにボールは当たらないし、体はでかいくせに足は遅い。

両親が「水泳」だけは習わせてくれたが、そもそも幼いころにX脚の矯正靴を
はいていたこともあって、あまり外で走り回って遊んでいた記憶がない。

球技は、本当にまるで駄目だった。
小学生のころ、何かのブームで周りが騒ぎはじめ無理やり引きずり出されて叩き込まれた。
逆にそれでドハマりして、なんとかそれなりにできるように自己流の練習を始め、
自分がハマったころには、皆は「もうそんなのどうでもいい」感じだった。

環境が変わって、好きな運動が好きなようできる環境になったころ、
やっぱり周りは運動以外にもやりたいことが増えてまとまらず、
皆が急激にまとまり始めた時には、自分が好きだったものとは
まるで違う雰囲気でついていけなかったのを覚えている。

基本苦手だった分、ただ体がでかいことを物理的に有利な方法で使うしか
能がなく、決して運動神経が高いわけではなかった。
なので、うまい人を見るたびに、こいつには勝てないと素直に認めてた。
だからこそ、できるやつが頑張りだした瞬間に、自分の熱が冷めたのかもしれない。

今となってはそれがトラウマになっているかもしれない。
当時、周りには「中途半端でやめた」「裏切った」とののしられた。
個人的には「お前らだって今まで他のことに脱線してただろ」
と言いたいところもあったが、周りから見える事実は自分でも客観的に
受け入れざるを得ず、心を痛めながら、また自分の好きな別の方向に舵を切った。

舵を切った方向が、そもそも当時としては悪かったのかもしれない。
「パソコン」「インターネット」というと、「オタク」扱いされた。
当時、教師が使っていたパソコンが「Windows 3.1」の時代だ。
学生用にある程度自由に使えるパソコンなんて、そもそも存在しない。
そういう時代なのだから致し方ない。

個人的には、当時オタク扱いした連中が、もしいまインターネットを使っているなら
正直、土下座をして謝ってほしいぐらいだが(いや冗談ですw)
今や、インターネットどころか当時のパソコンより数倍性能の高い
スマホ」を持っていることが当たり前になりつつあるのが、末恐ろしい。

2008年、社会人入りした時、「MVNO」という言葉がようやく世の中に生まれたころだった。
自分も「MVNO」という言葉に惹かれて、部署希望を出した覚えがある。
それが格安スマホブームになって大きく盛り上がったのが去年。実に6年。
一方、後から生まれたはずの「クラウド」という言葉は、あっという間に広がり
その言葉には自分はあまりついていけてない。
(これでも、「インターネット」という名のつく会社にいるのだから末恐ろしい)


結局のところ、これまでの自分は世の中の流れに流されてきたのだろうか。
それともB型の血で「我が道を行く」生き方で、やりたいように生き
その中で、多少なりとも流れを生み出す側に立てたのだろうか。

 

というのを、Facebookのタイムラインに流れたリンクを見て思いました。
http://himatub.net/1197